前回のブログの中で、女性グループがレストランの蜜状態の中で大きな声でのお喋りをしていたことを取り上げましたが、今度は私の知り合いから次のような話を聞きました。
通勤電車の中で、まさかの?
その日の朝、辻堂駅から大船駅まで東海道線に乗車したそうですが、ドア付近に立っていたところ、ドア付近では二人の女子高生が楽しそうにお喋りをしていたそうです。二人ともマスクをしていたので、あまり気にはならなかったとのこと。目線を移すと、そのすぐ近くの座席にいる人とその前に立っている女性同士が、やはりお喋りに花を咲かせていました。こちらもマスクはしていたとのことです。ただ、朝の通勤時間帯。車内は換気はされてはいるものの、マスク着用は当然で、こうした三密状況ではお喋りを控えることは、感染症対策としては守るべき義務でしょう。
ところが、自分の隣にいる若い二人のサラリーマンの話が弾んでいました。しかも一人はマスクも着けていない。唖然としてしまい、思わず注意を促そうとしたけれども、「マスク警察」と思われてはなあ、と思って次の藤沢駅で一度降り、別のドアに移ったとのことでした。この話を聞いて、前述のレストランの女性グループに続いて「ここでもか」と残念な気持ちになりました。
コロナ禍の中でのエネルギーの発散
人は自分の想いを誰かと話すことで、一種のエネルギーを開放しています。ですから、いつもの生活で抑圧されているほど、別の誰かと会う機会があれば、話をすることで抑えられていたエネルギーを解き放てるので、どうしてもそこには会話が始まります。現在のコロナ禍では、ステイホーム、マスク着用、適度な距離を取るなど、ある意味とても窮屈な日常を余儀なくされているため、気の置けない仲間と会えば、息せき切って会話が弾んでしまうのはよくわかります。
ただ、それもこのコロナ禍では気を付けなければなりません。マスクを着けて適度な距離を取り、必要な時には手洗い・消毒をすることは、この感染を早く終息させるためには大事なことでしょう。早く気の置けない仲間と何も気にせずにお喋りをできるようにするためにも、今やるべきこととそうでないことを見極めたいものです。